トマトケチャップが定着しなかった理由

トマトケチャップが定着しなかった理由

しかし、当時のトマト・ケチャップは今のような廉価な大衆向け調味料という存在ではありませんでした。「外国産」というとどうしても安いイメージがありますが、昔は高級品だったのです。

 

明治時代から輸入販売をしていた竃セ治屋の記録によると、1908年(明治四十一年)のトマトケチャップの値段は、一本三十五銭だったようです。ちなみにその頃の物価は鯛焼が一個一銭、もりそばが三銭、コーヒーが一杯五銭…だったので、そのことを考えると当時のトマトケチャップは二〜三千円していたことになります。調味料でこのくらいの値段がするとなると、大衆食堂でメニューに出すのは難しいところがあります。

 

また、外国産がダメなら国産品…と考えるかもしれませんが、もともとトマトは食品として見られていなかったので、栽培をしているところは非常に少なかったのです。明治期に西洋料理が普及しても、赤色の食材を口にしなかった日本人にとって、トマトケチャップは血の色のように思え、定着はしませんでした。当時の一般家庭であまり使われることが無かったトマトケチャップは、保存食として海軍食として使われることが多かったようです。